おはなばなし(反抗期兄妹の育児日記です)

反抗期男子と中間反抗期女子のノンフィクション!

年を取るって こういう事なのかもね。

ハッピーハロウィン!でした(過去形)

 

澁谷のハロウィンが大変そうでしたね~。

若者が集まると 色々パワーがあふれ出るのでしょうね。

おばさんになってしまった今となっては、

そのパワーがどんなものなのか 思い出せません。

 

一方で、今朝(11/1)

仮装姿で ゴミ拾いのボランティアをする

若者を見て

目頭が熱くなりました。

おばさん涙腺弱し(苦笑)

 

 

さて、そんな ハロウィンでしたが、

私的には もう一つ 大切な日でした。

 

父の命日

 

 

 

この日 昼頃に実母から

「ハロウィンの かぼちゃグランタン

子供達に作ったから 帰りに寄って持って行って」

メールが来ました。

 

実家は 会社と自宅の中間地点なので、

いつも 色々お世話になっているんです。

毎朝、娘のmomo(7)を そこから小学校へ歩かせていますしね。

 

だから 平日は毎日

通う場所なわけです、私の実家。

 

 

メール後の夕方。

仕事を終えて、momoを学童保育へ迎えに行く前に

実家へ寄りました。

グラタンを頂いて、車に乗り込もうとした、

その時です。

一旦閉じかけた 玄関のドアが再び空き、

実母が 言いました。

 

『今日は お父さんの命日だったけど、覚えてた?』

 

 

 

忘れてました(汗)

 

 

母は私を試したのでしょうか?

車を発車するギリギリに言うなんて。

 

私自身も

命日の事を忘れていた事にも 動揺。

他に用事もあったので、

実家に再び戻って 仏壇に手を合わせる事もなく、

急いで、そのまま車に乗り込みました。

 

 

15年前に病気で53歳で亡くなった実父。

無くなる前の夜も、昨日と同じくらい寒かった。

実父を見舞った10/30の夜

見上げた空が 真っ暗で、寒くて

なんとなく 「もうお父さんに会えないかも」と

感じました。

その翌日にお空へ。

あの瞬間の感覚を、車に乗りながら思い出していました。

 

私自身が父親っ子だった事、

病気の原因が私にあったかもしれないと当時思っていた事、

壮絶な闘病の様子を毎日お見舞いに行った事

沢山あって、

当時は 私は

「このまま私は泣き疲れて死ぬかもしれない」

「私は鬱になって もう一生こんな感じかもしれない」

 

とにかく どんよりと

地の底を這っていたのでした。

 

半年がすぎても、

毎日 父の事を考えるばかり。

1年経っても 思い出すと罪悪感&涙。

 

当時 知人に

「時薬が効いてくるから」と 慰めてもらったけど、

『ありえない!』って 反抗してました。

 

けれど、、、、、

今では、命日を忘れた。

 

母から言われても、

仏壇に戻らなかった。

 

 

実家を後にする車の中

私の中の「悪い子」な部分を感じもしたけど、

『こうやって、時は過ぎて行くのだ・・・』

『これは、これで いいのだよね』

 

毎日の忙しさで 命日を忘れていた事を

正当化できた自分を 少し 褒めてあげようと思いました。

 

きっと お父さんも

そんな私を遠くから

「毎日忙しくがんばってるね、俺の事はいいから、

 自分の事、子供たちの事 考えてあげなさい」

 

そう言ってくれているはず。

 

私も順番がいつかやってくる。

「死ぬこと」が 15年前よりも、

怖くなくなって来た そんな自分を少し感じたハロウィンでした。

 

いや、怖いけどね(笑

前より怖くない。

 

年を取るってこういう事なのかもね。

 

それでは、また。